25:アルファロメオの特異性(2)(1997/12/05) |
アメリカ国民や日本国民が、自分の生活の向上を「現ヒエラルキーからの脱出」という目標と同一視し、際限なく消費規模を拡大してゆくことに躊躇しない文化を培ったのに対して、ヨーロッパでは、生活の向上とともに、逆に大衆としてのアイデンテティを強く確立しようとした点が非常に変わっています。要するに、「大衆向け」から始まり、最後に「貴族向け」で終わるのではなく、あくまでも大衆であるからこそ味わえるものを向上させ、それを自分の購買する物に反映して自分を表現する。それは「昨日まで貴族が持っていたもの」を求める事ではありませんでした。貴族、資産家に次いで、やっと大衆も大衆であるが故のプライドを獲得したのが20世紀後半のヨーロッパですが、クルマの購買にもそれが現われている様です。 クルマに限らず、今でもヨーロッパには社会的階層によってブランドが完全に分かれています。どんなにお金があっても、自分の今の社会的地位に根差したブランドしか身につけない、それでもコンプレックスを抱かないで済むのがヨーロッパの戦後大衆文化の成果のひとつです。その情報や文化的背景は残念ながら日本には殆ど入ってこないため、我々の「平等な」感覚からすると、その辺のOLがフェラガモを履いてグッチを下げて山の手線に揺られていても全く違和感を感じません。 一方、大衆市民はFIATに乗り、警察と泥棒(そして尊敬されるエンスージャスト)はALFAに乗り、貴族や資産家はマセラッティやランチャに乗ると言われるある国のように、ヨーロッパではこれが決して破綻なくそれぞれの個人の哲学と社会の価値観にピタリとおさまるようにステージングされているのが一般的です。そこからハミ出す事は、恥ずかしい事ではあれど、決して自分を満足させるファクターには成りえません。それが不平等か平等か僕には分かりませんが、とにかく我々の様に「昨日までアルトに乗っていたが収入が上がったからセルシオを買う」という様な感覚で、FIATオーナーが明日からいきなりマセラッティオーナーになるということはあまり常識的ではないようです。そうするためにはまず、クルマ以外のいろんなファクターを手にいれなければならないのです。 だから、彼等のクルマにおける「ヒエラルキー崩壊」というのは、我々の文化のように「弱者と強者が入れ替わる」のでも「弱者が強者のものを手にいれる」のでもなく、それぞれの属する社会的プライドが温存され続けられるステージの中だけで行われるという点が、根本的に違うのだという事を意識する必要があります。そういうステージがあるからこそ、800CCでランチアをぶち抜けるアバルトが意味を持ち、ハコ型にDOHCを積んだアルファが熱狂的に支持され、それで大衆はエスタブリシュメントと肩を並べて交差点に立てるようになるのです。それが彼等にとっての「ヒエラルキーの崩壊」であって、決して我先にロールズやマセラッティに乗り換える事を目指すような事がヒエラルキーの崩壊を意味するものではなかった様です。 この事は一見、秩序が変わることを良しとしない非常に保守的な発想にも見えますが、市民革命や隣国での労働者革命の度に、旧エスタブリシュメントが悲惨な運命を辿ってきたヨーロッパの教訓であったかのようにも思えます。つまり「エスタブリシュメント構成は戦前とさほど変わらないが、新たに豊かな大衆文化の存在も必要である」という、被支配階級不在の階級社会を目指した試行錯誤ではなかったかと思います。そして、こと消費経済においては新旧の購買層は見事にお互いが住み分けを成しえています。ここが戦後ヨーロッパの大衆消費文化の大きな特徴だと僕は考えています。 その中でアルファは大衆向けメーカーとして再出発しました。ところが、当時の他社のスペックを見る限りでは、それまでの大衆車というのは、従来のヒエラルキー論理の呪縛に取りつかれたとてつもなく屈辱的で低レベルの性能のものばかりだった事が分かります(もちろん大衆化の初期段階ではそれでも十分だったかもしれないが)。その中にあってアルファは大衆を向いた瞬間から「クルマとは速く走るべきである」という、決してクルマの本質の部分で妥協しない姿勢でクルマ作りを始めた訳です。その象徴が4気筒DOHCエンジンでした。4気筒かつ2000cc以下という大衆車の限界の中で、大衆が決してコンプレックスを抱かずにランチアやマセラッティと肩を並べられる、初めてのクルマがアルファであり、アバルトでした。 「限られた排気量と非力なエンジンを、めいっぱい回して交通の流れに乗る」というかつての大衆車の伝統をそのまま持ち込めば、クルマの性能に残された可能性は、あとはそれがどこまで回転を上げられるかという点に集約されます。そしてそれは彼等のクルマが主に活躍した、厳しい規格とカテゴリー分けによるレーシングテクノロジーと一致します。 高級車ですらOHVが一般的だった40年前に、実用車のボディにリッター単位馬力があまりに突出したDOHCエンジンを積んだこと自体も驚愕ですが、それは決してアルファにとってそれは特別な、限られた人のための技術ではなく「大衆車のエンジンはかくあるべし」の究極を実現したに過ぎなかったという事の方がずっと凄い事です。 アルファは、クルマのカテゴリーの範囲の中で味わう満足度とドライバビリティこそが削るべきでない要素であって、安さのためにいたずらに程度を落としたものを「大衆車」とは呼ばない、今に通じるクルマの本質を大衆と後発のメーカーに伝えた先駆者でした。 それが彼等ヨーロッパの大衆における、真の意味での自動車ブランドにおけるヒエラルキーの崩壊の到来であって、自動車に対する審美眼と「走る喜び」は決して限られた人達のものではないということを、大衆車文化の初期に実現したアルファは、本当に変わった会社だと思います。 僕がもし1950〜60年代のヨーロッパにいるとして、フェラーリには手が届かなくても全くジェラシーを感じることがないままに、もう少し頑張ればアルファを選択することができる事でしょう。そしてフェラーリにはフェラーリのままでいて欲しいと思います。 だからこそアルファは戦後いくら儲かった時代があっても二度と「高級車」を作らなかった訳ですね。アルファはアルファだから楽しいのであってF50を作ってもちっとも楽しくないのです。 |