24:アルファロメオの特異性(1)(1997/12/05) |
ここからの話は、クルマに絶対的な性能差があった時代が前提になります。
戦勝国アメリカでは「国民全員がエスタブリシュメント(支配階層)である」という建て前の元に、一方、敗戦国日本でも全く逆の立場で、工業製品のスペックや市場が全て一つの方向に振れ切ってしまうという現象を起こしました。つまり、指向は一つ、購買層もひとつ、製品の本質的差異は社会階層には全く関係なく、生活の向上によってのみ豪華指向に順次消費が拡大されてゆくというシステムを作り上げました。だから一企業内のブランドで、製品ラインナップをできる限り揃え、順次より高いものに買い換えを促す様なマーケティングが採られる事が、企業成長の鍵とされました。 ヨーロッパでは、戦勝国も敗戦国もアメリカや日本とは少し違う歩み方をしました。平等は平等でも、戦前(ファシズム台頭以前)のヒエラルキー秩序と価値観が厳然として残りました。それと並行する格好で、第二次大戦の敗戦国の教訓によってやっと気付いた「大衆文化」の特権的でない進化の試みが始まりました。クルマで例えると、敗戦国ドイツでは、戦後まもなくダイムラーベンツ社がリムジンの開発製造を再開した一方で、フォルクスワーゲン社がナチスドイツ以来の構想だった「フォルクスワーゲン」の生産を開始するなど、どの国でも大衆への自動車の提供という新規産業が始まりました。 しかしながら、そういう転換を迎えたヨーロッパの各自動車メーカーの多くは、戦後から1980年代初頭にかけての長い期間に渡って「全員のためのものを作る」ではなく「誰のためのものを作るか」を決めて存続しました。高級車はあくまで高級車であり、大衆車はあくまで大衆車であるという、乗る人間の社会的価値観と購買力による明確なカテゴリーを、装備はもちろんの事、品質や性能どころか、メーカーの存在意義にまで厳然と用いたのです(ヨーロッパ製大衆車にクラスレス指向の信頼性や豪華装備が目立ち始めたのはずっとずっと最近、もちろんそれは日本車の影響です)。大衆車メーカーはまず初めに「ちゃんと走り、止まる」ことだけを目指したクルマを生産しました。それ以外の何も、例えば1メーカー内だけで全てのヒエラルキーを賄う様な事も殆どありませんでした。 |