3:ノスタルジーの続き(1997/9/15) |
ところが、クルマは工業製品でありながら、一般化の過程においてもしばらくは、その「家庭の味」が支持されてきた珍しい製品です。その黄金期はたぶん1960年代でしょう。 僕はアルフェッタの前に、フォルクスワーゲンゴルフを2台乗り継いでいます。この頃、合理性においてゴルフに勝るクルマは他になかったからです。シトロエンBXにも乗りました。どちらもそれぞれ違った意味で、神がかったような合理性を発揮するクルマでした。合理性...ユーザーのパーソナリティと本当の意味で融合できる合理性の追求は、僕の知る限りでは1970年代になってからの新しい発想です。そして、二車とも、企業の強烈なポリシーと経営を支えてきたクルマの末裔です。が、正確に言えば、ゴルフもシトロエンも、かつてのクルマ〜ビートルやGS〜CXが持っていたような骨太のコンセプトからは、もはや遠くかけはなれた、片鱗のようなものになっていました。合理主義を完遂するために、クルマであることの存在主張を「止めるぞ」と宣言を始めようとしているかのようでした。事実、それらのモデルを最後に、ゴルフは単なるクルマになり、シトロエンは、あのヘンテコリンさをほぼ完璧に失いました。 |
アルフェッタは、自動車が自動車である事を最後まで主張しつづけて夢破れ去ったアルファロメオ社の最後の設計車の一つのような気がしてなりません。戦後まもなく完成した当時のままの広角バルブのDOHC、量産車には絶対に向かないトランスアクスル、メンテ性の最悪なインボード式ブレーキ。全ての要素が、「自動車はこうあるべきだ」という強烈な主張の元に設計され、時代にそっぽを向かれた、大衆車における世界最後の「自動車のための自動車コンセプト」です。
つまり、アルフェッタ(もしくはスッド)は、アルファロメオ社が最後まで家庭の味にこだわった「変なクルマ」だったんですね。 ホントか??? |