バイバイゴルビー
右足が動かなくなり
やがて左足も動かなくなった。
誕生日の晩、前足も動かなくなった。
おしっこをしたくてももう這う事もできない。
言う事を聞かない自分のからだに苛立つように
嘆くように、おまえは僕の目を見て、ひゅんと一声鳴いた。
「そこに漏らしてもいいんだよ」と言っても
決してその場ではしようとしない。
重たい体をようやく抱えて表に出してあげると
ほっとしたように、床に飛沫が飛び散った。
来る日も来る日も病院に通い
だけどそいつはとてもしつこくて
いつしか身体中を蝕み
おまえの背骨の機能を完全に停止させようとしていた。
やがて首が立たなくなり、それでも「水が飲みたい」と
おまえは僕の目を見る。
痛さと鎮痛剤のせいで
意識がもうろうとして目が泳ぐ。
口元に差し出した水が
どこにあるのか探せない。
必死に首が泳ぎ、やがて探し当て
すっかり弱々しくなってしまった舌をそっと水につける。
夜が明けた。
長い長い朝。
風が強い朝。
先生が、覚悟したように言った。
せめて最期の苦しみだけは取り除いてあげよう。
診察台の上で、苦痛に耐えながら
おまえはずっと僕の目を見ている。
僕もおまえを見ているけれど
もう、よく見えない。
右前足に麻酔の注射針が差込まれた。
やっと「バイバイ、ゴルビー」とだけ言った。
そっと顔を撫でた。
透き通った青い目が、ゆっくりと、閉じた。
やがてもう一本の注射が打たれた。
9年と1日目。
誕生日、おめでとう。
看護婦さん達に抱えられて
おまえはクルマに乗った。
空はあんなに晴れているのに
なんて、風が強い日なのだ。
そういえば、おまえは雪と同じくらい
とっても風が好きだったよなあ。
風の匂いを確かめるように
鼻先を高々と宙に向け
嬉しそうに走り出した。
そして今度こそ
どこまでもどこまでも、走って行った。
バイバイ、ゴルビー。
佐藤千洋
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