11:たかが75、されど75
  -そして自動車評論家へのヤツ当たり 
   (1997/11/15)
 その後も、アルファを見に行く機会は何度かあったのですが、最初のあまりのショックに(これが店選びでコケただけだとも知らず)、僕は大古車(良く言えばいわゆる「旧車」)への思いを一旦諦めかけていました。そして、ミッションに問題が発生していたゴルフの修理費とさほど変わらない維持費で乗れる、少し高年式のクルマを物色してみようという気になりました。対象は75TSです。4気筒でのベストマッチングカーを探していたため、164は候補には上がりませんでした。

 いざ75TSを探し始めると、これがなかなか見つからない事に気付きました。それもそうでしょう、75は元々日本ではあまり人気の出なかった車種、大枚を叩いて買った人はよほどのアルフィスタ。年式から言っても、まだそんなにたくさん市場に出回るほどの時期でないことは明白です。155がデビューしてからはなおのこと最後のFRアルファは人気なはずです。今は随分と75も出回るようになったようですが、それでも同時期の(マイナーチェンジ前)164のほうがよほど安かったりして。なんかこう「クルマの車格って一体何だろう?」と思わされる事がしばしばです。

 またしても話はずれますが、ここでもまた、無責任な自動車評論への不審感が募る訳です(笑)

 なんで古い164が不人気かは、僕も知っています。エンジンマウントの位置が悪くて曲がらないのと、ATミッションのバグでしょ?ATミッションに関しては、当時の欧車は多かれ少なかれどこも抱えていた問題点があります。そしてそれは164に限ったものではなかったのですが、エンジンマウントの問題については、誰かが身をもって体験した事ではなく、「雑誌の評論」が主な原因です。164がデビューした頃の評論はそれと180度違うものでしたよ。

 某誌曰く「常にハンドルを押さえることを要求される高速クルージングは、イタ車的緊張感というか『さすがドイツ車とは違うドライビングプレジャー』と感心した」

 いい加減にもほどがあります(笑)直進性や回頭性のクセを「味」のごとき曖昧な表現をしつつ、アルファがそれを修正してからは「旧164には直進性に明らかに問題がある」とやるのか?これは特別な例ではなく、他にも枚挙にいとまがありません。つまりは「何も信じるな」と言われているのと同じなわけです。

 最近の156に関する試乗評論について、実に興味深い対象例があります。これについては実名を挙げます。CarMagazine誌の156評は、ドライビングプレジャーの点でTSに高い評価を与え、V6にはサスの不安を指摘しています。一方、CG誌では逆に、TSのサスに不安感を指摘し、V6のサスには「アルファらしいドライビングプレジャー」の点で高い評価を与えています。全く逆なのです。つまりは個人の主観の違いでしかない訳です。このような主観を、国産車や「クセの強いクルマ」に対しては、いつのまにか「客観的判断」として強く改善を迫る訳です。そしてそれらが満たされたとき、次に待っているものは「味がない」とか「そんなパワーが果たして必要なのか?」とやるわけです。

 僕自身が身をもって体験したクルマ達の印象や評価が、国内で信用されている自動車雑誌の評価とは随分と違うものだと思わされることが、今だに随分とあります。

 国産車がつまらなくなったのは、ユーザーやメーカーだけの責任ではありません。「公道を走るクルマの何を評価すべきか」が分からない、デザインをも見る目を持たないレーサー崩れの峠族が、ただクルマをチョイ乗りでブン回して「自動車評論家」と自称してきた結末でもあるのです。それに比べたらトヨタのかつての理想だった「クルマは空飛ぶじゅうたんにならなければならない」の方がよほどすっきり分かりやすい理想論です。(そんな理想、イヤですけど)

 僕が尊敬する評論はCG誌の長期テスト「Lomg Term Test」です。これには非常に責任感のある評論が数多くあります(時々何を見ているのか意味不明なものもありますが)。プロである以上、自動車の評論とは、オーナーにはならなくとも、少なくともユーザーにはなるべきです。そして少なくとも一度は車検を通すか、整備に出して最終結果を出すべきです。そうして初めて、客観的な評価が生まれます。オーナーから借り出した財産を、慣らしもせずに無神経に箱根や富士で限界走行してするものではないのです。チョイ乗りとは、あくまでもインプレッションであり、主観でしかありません。それと断定的評価をゴッチャにしてしまう事はプロとして絶対に避けなければならないのです。

 ともかくも、やっと見つけた75達は5年落ちの中古車として考えると、どれも少し高い様に思えました。走行距離もさすがにアルファ車らしく5万キロ、6万キロを経ていました。が一方では消耗部品の交換時期もとうに過ぎながらそのままにされている(つまりは次のユーザーに負担を払って貰う)システムを取るお店が殆どでした。もっとも僕はそういうのは半ば平気で了解する方なのですが、これはビギナーユーザーにとっては非常に危険なシステムです。特にタイミングベルトやクラッチに関する部分は、仮に交換はされていなくとも、整備記録と照らし合わせて顧客に説明する必要があります。そんな訳で、それについての説明が一切なく、単にボディを磨き上げて小奇麗にカーペットの上に展示し、エンジンすらかけられない状態では「これでは買ってからのサービスも任せられないな」という訳で、現代系イタ車の商売方法にも少し違和感を覚え始めていました。「...ありゃりゃ、こりゃ八方ふさがりだ」



12に続く